2019年末に中国湖北省武漢で確認された新型コロナウイルスの感染者は、感染元である中国国内で急速な広がりを見せている。AFP通信によると中国当局が初めて発表した公式な数字は2020年1月9日の時点で59人だったがわずか1ヶ月後の2月10日には40,000人を上回る感染者が世界中で確認されており*1、11日に死亡者は1000人を越えた*2。その90%以上は中国国内である。
そして、日本でも発生しているマスク価格の高騰が、中国国内でも大きな問題として浮上した。特にN95マスクと呼ばれるものの欠品が相次ぐ。N95とは、米国労働安全衛生総合研究所(NIOSH)によって規定される規格で、0.3μmの微細な試験粒子を95%以上捕集できることが証明される*3。かねてよりPM2.5の微細粉塵対策で効果を上げたため、一般人が入手できるマスクとしては最も効果的なマスクとして認知されており、今回のコロナウイルス問題で消費者が買いだめに走った経緯がある。
1月20日時点で中国の主要eコマースにおけるN95マスクの価格は約10倍に高騰。アメリカの3M製N95マスクは10枚で99元(約1560円)程度が通常価格だったが、1000元(約15700円)まで跳ね上がった。これを受け、中国国内の主要ECモールである淘宝網(Taobao)、京东(JD)、拼多多(Pinduoduo)、苏宁易购(Suning.com)、餓了麼(ele.me)などが相次いで、マスク価格の釣り上げ禁止を出店業者に通知。
1月21日、中国国内大手のフードデリバリーであるele.meは中国版Twitterである微博(Weibo)上で声明を発表。「N95マスクの価格上昇に強く反対し、価格が高すぎる出店業者に引き続き介入する」意思表示を行い、また、「保護製品を適正な価格で販売する約束をすべての業者に求める」としている。また、ele.meの兄弟会社とも言える淘宝網(Taobao)*4もまた、公式ブログ上で声明を発表。淘宝網及びTmall(淘宝網の消費者向けEC)上でのマスク販売業者に不当な値上げを禁止する通達を行い、偽物ではない本物のマスクを消費者が手に入れられるよう、補助金を提供する、と述べた。
1月22日にはもう一つのECの雄、京东(JD)は、価格の異常高騰を検知した段階で出品商品を表示から外し、出店者にペナルティを課すと発表した。
そして、現在、ほとんどのECプラットフォーム上で価格の異常高騰は抑えられた(現地の人間によればそれでも多少は高いらしいが)。普段は熾烈なライバル関係にあるECのリーダーたちが騒動の沈静化と共に火事場泥棒のような商売を許さない、という姿勢をほとんど同時に打ち出したのは、おそらく当局からの要請があったことは間違いなかろう。しかし、これだけ迅速なスピードで市場の空気を変えることが出来る中国経済のスピード感と連携姿勢は刮目に値する。*5
一方、筆者が現地の友人に尋ねたところ、露天での闇販売的なものは未だ横行しており、デジタル販売が先に鎮静したことで、若者たちの間では好意的に受け入れられているという。
そしてこの記事を書いている間に新しいニュースが舞い込んできた。中国の国外向けラジオ局である中国国際放送(CRI)は2月10日、北京市政府当局は、北京市行政機関の職員が日常業務で医療用N95マスクを着用してはならない通達を出した、と報じた*6。つまり、政府職員は業務上でN95マスクを着用してはならず、市民に行き渡らせることを優先する、とした。また、先述の京东(JD)も同日、自社が保有する配送用の自動運転車両およびドローンを武漢市に提供し、医療用品の無人配送を開始したと発表した*7。
出典:JD.com
出展:JD(2020), JD’S DRONE DEBUT IN HEBEI DURING CORONAVIRUS PERIOD, retrieved from https://jdcorporateblog.com/jds-drone-debut-in-hebei-during-coronavirus-period/
また、同社は親会社であるTencentのWeChatを用いて武漢市長の名のもとにアカウントを開設。在宅での感染症状の確認、適切な処置、感染予防対策などの啓蒙を行い、感染拡大とパニックの防御に貢献している*8。同アカウントの応答はAIを介して行われ、チャット形式で症状を診断し、最適な処置を市民に提供。2月10日時点で25万人の訪問があるという。
現在、中国では国家危機とも言える状況の中、官民連携によって苦難を乗り越えようとしている。これを支えるのはデジタル技術よる圧倒的な展開スピードと、これを支えるメガベンチャーの存在、そしてこのリソースを積極的に活用して従来の手順をどんどん変更しながら進めていく当局オペレーションの柔軟性である。中国はこのパンデミックを機に、社会全体規模でとてつもなく大きなDXが進むのではなかろうか。もちろん、当局の強制力や統制姿勢に関しては諸手を挙げて賛成することは出来ない。しかし、中国社会全体が危機の中、新しいアプローチを積極的に試さざるを得ない状況下で、社会実験のようなデジタル技術のトライアンドエラーを国民が身をもって体験し、乗り越える、という事実だけは確実に残る。
現在、中国は大ピンチである。しかし、このピンチはとてつもない糧になりうると筆者は考える。
ちなみに、非常に残念ながら、この記事を書いている2月11日時点で、メルカリでは本来100円のダイソーのマスクが未だに1000円で売られてSOLDになっている。Amazon.co.jpでは本来1500円程度の30枚入快適マスクが5200円である。
被害当事者である中国とは大きな臨場感の格差があるにせよ、世界経済で中国としのぎを削る日米と中国の間には大きなコントラストがあると言わざるを得ないだろう。
引用情報:
*1
AFPBB(2020), 新型コロナウイルス、感染者が確認された国と地域(10日22時30分現在), retrieved from
https://www.afpbb.com/articles/-/3267695?pid=22122348
*2
Newsweek(2020), 中国、新型コロナウイルス死者1000人超える WHOは国外の感染拡大に警鐘, retrieved from
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/02/1000ho.php
*3
Wikipedia(2020), N95マスク, retrieved from
https://ja.wikipedia.org/wiki/N95%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF
*5
EqualOcean(2020), E-commerce Platforms Prohibit Mask Price Rise as Outbreak Leads to Shortages, retrieved from
https://equalocean.com/retail/20200123-e-commerce-platforms-prohibit-mask-price-rise-as-outbreak-leads-to-shortages
AFPBB(2020), マスク便乗値上げは絶対に許さず! ネット通販企業が価格安定対策, retrieved from
https://www.afpbb.com/articles/-/3264801
*6
CRI Online(2020), 行政機関職員、日常業務でのN95マスク着用禁止へ=北京市, retrieved from
http://japanese.cri.cn/20200210/e2419c8b-45db-54c1-e54e-a4e55f1c86e6.html
*7
Bridge(2020), 中国EC大手のJD(京東)、自動運転車を使い武漢市内の病院へ医薬品を配送, retrieved from
https://thebridge.jp/2020/02/jd-completes-first-unmanned-delivery-for-coronavirus-aid-in-wuhan
*8
JD.com(2020), JD’S CLOUD AND AI HELP FIGHT CORONAVIRUS, retrieved from
https://jdcorporateblog.com/jds-cloud-and-ai-help-fight-coronavirus/筆者注:
*4
淘宝網はアリババグループのeコマース部門であり、餓了麼(ele.me)は2018年にアリババに約1兆円で買収されている。本業はフードデリバリーだが、現在はコンビニや薬局の配送代行も受け持ち、スターバックスのコーヒー宅配も同社が行っている。淘宝網のラストワンマイル配送は餓了麼によってAmazonのそれを超えたとされ、都市部では注文後約30分配送を実現している。